何が必要か、次はどうするか。
答えはいつも現場にある。
私たちのいちばんの得意先は、石巻周辺の中小の建設業・工務店です。その現場では大手ハウスメーカーに対抗するため工期短縮と合理化が課題になっています。すなわち私たちもそれにふさわしい対応をしなければなりません。突発的なオーダーにも柔軟に応える。届いた商品はすぐ現場へ届ける。つねに現場に出向きニーズを探るなど、最善のソリューションができるよう努めています。
いいものがないなら、つくる。
そのための技はある。
現場では構造材や主要部材は事前に用意されますが、突発的に部材の修正加工や新たな材料が必要になる場合があります。私たちはそうした規格外の木材加工オーダーに対応できるよう、製材設備と専任スタッフを置いています。「こういうのが欲しいが‥」といった細かなオーダーにもお応えします。木材持込による賃挽き加工もお受けします。
現場の悩み、幸田屋商店にご相談ください。
当社は中小建設業・工務店の強い味方でありたいと考えています。プレカット材加工、部材の修正加工など木材加工のご相談・見積り依頼などお気軽にご相談ください。
私たちの歩みをわが事のように話す人がいる。
その信頼を受け継ぎたい。
多くの得意先で古くからの贔屓にしていただいています。年配の方には、むかし、ああだった、こんなことがあった、など当社とのつきあいを懐かしそうに話してくれる人もいます。百有余年の歴史を語るとき、実績や数字より、そうした信頼がしっかり生きていることを誇りに思いますし、何より仕事の励みになります。
名刺を飾る当社のマーク。これは創業者幸田喜造が屋号である『ヤマキ』をデザイン化したものです。山から木材を切り出し、製材を業とした喜蔵は、その宣伝普及をスムーズにするためにモダンなデザインを導入しました。
1931(昭和6)年に発行された『石巻港明細図』(晴皐社)では、仲町と中瀬に『幸田屋金物店』、『幸田屋造船所』の名前を見つけることができます。製材、石材加工販売、建築請負と事業を拡大した幸田喜蔵は、この頃には造船も手がけていたことがわかります。まさに得意の木材加工を生かし、多角経営を図っていました。
市街地で印象的な佇まいの「第二S Sビル」は、1925(大正14)年に旧東北実業銀行石巻支店として建てられたもので、創業者が建築を請け負いました。設計は辰野金吾とともに東京駅の設計を手がけた葛西萬司により、鉄筋コンクリート造で建てられました。この工法は、1923(大正12)年の関東大震災をきっかけに全国に普及しますが、震災からわずか2年足らずで石巻でも手がけられるようになったこと、そして当社がそうした技術を持っていたことを誇りに思います。
いつからそうなったのか不明ですが、ほとんどのお客様が「こうだや」と呼び、私たちもそう名乗っています。「こうたや」が正しく、苗字も同様です。おそらく濁音の方が呼びやすいことや方言の影響もあるのでしょう。これも当社が地域で長く愛されてきた証と考えています。